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恋愛小説 天ノ川 向コウ岸 9

9        縁日
 
 週末の土曜の夜は恒例の夏祭りが有った。



前日の
「千久馬君は私の浴衣を着てみないかい?」
鶴の一声で加納さんがそれを準備し、急遽二人で縁日に出かける事になってしまったという。
「君もしばらく帰って来れないだろうから、日本の夏を楽しんでいってくれよ。」
その上24にもなるのに
“おこずかい”
と称するものまで渡されて。
 以前の千久馬だったらその手をためらわなかっただろう。金持ちがお金を使うのは当たり前で、自分は彼より格下だから。それに、こういう場合、気持ちよく受け取る事が相手にとっても気分がいい事ぐらい察していた。でもこの時の彼は違っていて。
「はぁ。」
と生返事の後、ちらと七緒の方を見ていた。
「もらえば。それで私に奢ってよ。」
彼女はひらひらと手を振った。
「この子はよく食べるから、頼むよ。」
「もう、お父さんったら。要らない事、言わないでよ。」
そんな親子のやり取りを耳にしながら、胸の底に今の気持ちを沈め、彼はいつもの習慣になっている笑顔を浮かべていた。
「じゃぁ、御馳走なりますね。」
その一万円札をちょっと持ち上げ拝む様にする。父親がおかしそうに笑い、彼は
“自分の役目って、結局これなのかなぁ。”
そんな風に思った。

 用意された浴衣は思いのほか大きかった。
「なんかこれ、変じゃね?」
合わせが深く、裾が床それすれまで長かったのだ。
「大丈夫、下駄履けばなんとかなるから。」
そう笑う彼女も、何かおかしいなと感じながらあえてそれを誤摩化した。第一今の時代にそう着物通がいるとも思えず、いちいち他人の浴衣を詮索する人なんかいないだろうと踏んでいたのだ。どうせ今晩はお祭り。大勢の人波の中を泳ぐ、その中のたった二人になるのだから。
 彼女は仕立てのいい濃紺の浴衣を着ていた。クラシックと言えばクラシックなスタイルで、シンプルで上品なその雰囲気に、見る人が見れば極上の一品だと分かるものだった。
 街はおおにぎわいで、宵もまだ早いと言うのにずらりと列んだ露天が昼の様相を見せていた。りんご飴、焼きそば、綿菓子。甘い香りが渦を作る。それから射的のかけ声に、輪投げの銅鑼。
「アレやろう。」
千久馬はどさくさにまぎれて彼女の手を握った。
「ダメでしょう。」
その手を振りほどく事無く、彼女は千久馬を引き寄せる様に力を込めた。
「お参りが先なんだから。」
少しふくれた顔つきを、彼は可愛いと思った。彼女は几帳面で義理堅く、若竹の様に真っすぐで。彼はその手を放さない様に神社の境内へと足をすすめた。
 手水をとり、鈴を鳴らし、手を合わせ。その一連のスムーズな動きに千久馬は見とれていた。きっと彼女の中には神様が生きていて、その不思議な力で七緒は動いている、そんな気にさえなってしまう。
「七緒、凄く綺麗だよ。」
それは心の底から出た言葉だった。それからそれを自分の言葉に変換する。
「惚れ直しちまったよ。」
と。
「馬鹿。」
まんざらでもない彼女は、つないでいる手を緩めては握り返した。
 境内を下る。ゆるゆると。どこかで花火を楽しむ香りがし、爆竹の音が轟いていた。
「あ、アレ。俺得意なんだよな。」
彼が指差したのは金魚すくい。
「え〜、止めようよ。」
七緒は気乗りがせずそう言っていた。
「ああいうのって長生きしないんだよ。」
子供の頃、うきうきとした気分で水槽に入れ替えた翌朝、彼らはいつだってお腹を上にして浮かんでした。それが当たり前と気がついた時から、彼女にとって金魚すくいは残酷な遊びに思えてならなかったのだ。殺すために家に持って帰るより、生け簀で飼われていた方がもっと長生きできるから。実のところ彼は縁日でもらってきた金魚を3年も飼った事が有るのが自慢だった。その事を言いかけ、千久馬は口をつぐんだ。
「そうだね。」
と。飼う事が出来ないって分かっていて駄々をこねる気にはなれず。
「ちっ。すんげぇ上手いのに。これじゃ俺の凄いとこ見せられないじゃん。」
そんな言葉で誤摩化した。
「じゃぁ、アレとって。」
彼女が欲しがったのはヨーヨー。白いこよりをそっと垂らし。
「2つ目。」
彼が自慢げに3つ目のヨーヨーを狙ったとき、フックがゆらりと水の中に落ちた。
「残念。」
二人1個づつ指にはめ、パン・パンと鳴らしながら歩いた。
「ほらさ、こういうとき女の子って偽物の指輪とか欲しがるんじゃねぇの?」
目の前には昔風のおもちゃを取り扱う店が有り。
「もう私、女の子って歳じゃ有りません。」
そう言う彼女は綿菓子のお店へと向かっていた。
 粗目(ざらめ)が機械の中央に流し込まれ、どこから沸き上がるのか白い雲の様な綿菓子を割り箸で上手に絡めとる。
「不思議だよね。」
瞳をくるくる回しながら見つめている、そんな彼女の方が千久馬には不思議だった。
 さあ次はどこに行こう、そうんな感じで歩いているその時に、
「最上じゃん。」
彼女の肩を叩く男がいた。
 彼の名前は
「こいつ、司(つかさ)って言うの。」
「何だか雑な紹介だなぁ。」
千久馬より一回り大きなその男は彼女の肩を小突いた。
「うるさい。贅沢言わないで。」
「はい、中高の腐れ縁で〜す。同じ新聞委員でした。で、そちらの彼氏は?」
ほんの少し見下ろされ、千久馬はあまり良い気がしなかった。
「彼女の家の居候。」
そう言いながら、七緒とつなぐ手を少し持ち上げてみせた。つまり、そう言う事。ちょっかい出さないでくれ、と。
「はぁん。」
司は訳知り顔で、そのくせ七緒と話しを始めてしまったのだ。友達の近況、先生の転勤。全て千久馬には縁のない話し。それから
「良い浴衣着てるじゃん。駒絽?柳柄って事は帯には蛙かな?」
なんて背中を指差した。彼の言った通り、彼女は絹の透かしの着物にカエルのワンポイントの夏帯を揚げていた。
「さすが、最上のお嬢。粋だねぇ。」
等と褒めそやし、七緒のつま先からてっぺんまでぐるりと目を回した。
「あんたも相変わらずだねぇ、そう言いながら自分の事褒めて欲しいんでしょ?はいはい。」
そう言いながら、彼女も同じ様に彼を眺めた。男にしてはだらしない合わせと、やや抜き気味の衣紋。そのくせ腰回りにしわは無く、ぴったりと張り付き、男の体格の良さを強調している様だった。着物の仕立ても見るからに誂え品で、隙がありそうで全く隙のない装いの見本のようだった。
「んもう、どこ褒めていいか分かんない。あんた完璧だもん。」
「ありがとよ。俺、最上に褒められるのってやっぱ一番嬉しいわ。」
彼は満足げに笑い、千久馬の方にちらりと視線を投げ
「邪魔しちゃ悪そうだから。」
とようやっと手を振った。
「後でメールするわ。」
と。
 その後ろ姿。帯につけたひょっとこの面が揺れるのを、千久馬は苦々しい思いで見送った。
「ご免ね。」
七緒が申し訳なさそうに謝る。
「あいつとは古い付き合いでさ。お茶屋の息子だから口が達者で参っちゃう。」
その顔は言葉とは裏腹に、
『あいつと話せて楽しかった。』
そう言っていた。
                    つづく


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by hirose_na | 2008-07-09 15:49 | 恋愛小説