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恋愛小説 タダより高いものは無い 5

 その言葉の意味を彼女は素直に理解できなかった。
「ヨッシーって、好きな人別にいるんだぁ」
間違ってはいない。間違ってはいないがずれている。彼は大げさにため息をついてみせた。



「僕が好きな人、多分クラスの3割は気がついていると思う。下手するともっとかも。もしかしたら気づいていないのは颯だけだったかも?」
「えっ、あっ」
彼の事を大好きだったはずなのに、それでも自分は気がつけずにいたんだって事がちょっと悲しいかった。彼はぐっと彼女に体を寄せて、その顔を覗き込む。
「ねぇ颯。どうして僕が君に今までせっせとクッキー焼いていたのか、まだ分からない?」
彼はひょいと小首をかしげ、目をしばたたせた。長い睫毛。多分颯の1.5倍。颯比。
「そ、それは????」
ヨッシーはとってもべっぴんさん。颯は
『こんなに顔近づけられたら、キスしたいって、思っちゃうじゃないか! それって 
マジ男みたいで嫌じゃん! もう、最低』
なんて事を思う。
「そんな、分かんないよ」
彼女はそっと目を泳がせ、下唇を噛んだ。困ったときの彼女の癖だ。
「ねぇ、教えて」
いつになく甘い響きが彼女の口から漏れた。
「そんな事も分からないなんて、颯は馬鹿だなぁ」

 彼女は男らしかった。いつだって大声で笑い、きびきびと動く。誰もが彼女を頼りにし、格好良い彼女に憧れていた。
『でも僕は違う』
ヨッシーはこっそりクッキーを食べている時の彼女の表情を見るのが好きだった。誰にも見られていないと思っている時の彼女はそっと甘える様に目を細め、その口元をふっくらとほころばせながらクッキーを食(は)む。両手で大事そうに彼が作ったクッキーを持ち、時々鼻をピクッと動かしながら香りを楽しんで。まるで小リスの様に可愛い。
 そんな彼の表情に、ここに来て彼女は
『もしかして』
なんて事を思う。
『いや、まさか』
両方の眉間に寄った皺。
『そんな事無いでしょ?』
肩眉が上がり
『でもこれってそう言う事なんじゃない?』
疑り深い表情の後に嬉しさを隠す様な唇の端。
「やっと僕の気持ちに気がついてくれた?」
ヨッシーは花の様な笑顔をほころばせる。
「あっ、あっ、あっ!」
彼女は真っ赤になって火照る頬に両手を押し当てた。
「そんなの、嘘でしょう?」
不意に空気が動き、彼女はシナモンと生姜のスパイシーで甘い香りに包まれた。
『そんなに背は大きくない』
はずの彼。そして
『女としてはでかいはず』
の彼女。でも実際の所、彼女の鼻の頭はちょこんと彼の唇の所に当たる。なにしろこの三年間で彼は10センチも身長が伸びていた。
「えっ!?」
見上げる数センチ先で彼の透き通る様な瞳が颯を見つめていて。
「思い出してもらえる?」
彼の両手は易しく彼女の背中を抱え
「颯はこれから僕に今までのクッキーのお礼をしないといけないんじゃなかった?」
口調があまりにも優しくて、悪徳商法入っている事に彼女は気がつかない。 
「だから思うに、幼馴染の彼に構っている暇はないと思うよ」
「えっ、あっ、うん」
ヨッシーの唇が動く度にちょこちょこと鼻先をかすめ、颯は言葉に集中なんかできやしない。
「分かってる?」
その指先がとんとんと彼女の背中でリズムを刻む。
「きちんと彼より大事な人がいるって言って来てくださいね」
「うん、うん」
でも本当は分かっていない。突然の降って湧いた様な幸運にむしろパニックだ。
「ねぇ、颯」
そんな彼女の動揺を彼は手に取る様に感じていた。彼は鼻の先を彼女のおでこに擦り付けた。気がついていないようだけど、颯はいつも良い香りがした。それは作り物の香料ではなくて、彼女自身の良い香り。
『食べちゃいたい』
そんな欲望を彼はぐっと堪えた。折角ここまでこぎ着けた。彼にとって彼女は
“ドルチュェ”
甘くて豪華な最後のお楽しみ。ぱくりと一口で食べるのなんかもったいない。たっぷり香りを嗅いで、舌先で味わい、舐め尽くし。蕩ける様な感触を楽しみながら、ゆっくりと頂きたい。そのためにはまずは
“独り占め”
「幼馴染の彼とはきちんと話しをして」
悪い虫は排除だ。
「念のために言っておくけど、彼にアイスを奢ってもらうのは駄目」
彼女が食いしん坊な事はヨッシーが一番よく知っている。「うん」
「それから帰るのは僕と一緒、分かった?」
「うん」
「それから」
彼は心の中でにやりと笑った。
「僕の事、きちんと好きだって言ってくれないと、困るんですけどね」
「うん」
颯は彼の腕の中できゅっと小さく丸くなり
「好き」
小さな声で頷いた。
 さて皆様、優しい人にはご注意を。タダより怖いものはございませんから。


         おしまい ♪


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by hirose_na | 2009-09-20 23:31 | 恋愛小説