恋愛小説 七夕の夜の悪夢 後編
その夕方、
「くすくす」
そんな笑い声で星羅は足を止めた。
CanCanな女子がくすぐったい様な視線を彼女に浴びせ、そのくせ素早く逸らしたかと思うと
「あっ、社長」
黄色い声で彼を呼び止めた。折しも会社恒例の七夕セレモニーの5分前。大きな笹の枝葉には、それぞれの願いが鈴なりになっている。
「皆さん色々な事思っているんですね」
彼女達はその短冊を見上げ
「この人はイタリア旅行に行きたいんですって」
「この人は事業拡大、パリ勤務、ですって」
会社でも自分の容姿に高い自信を持つその集団は可愛らしい仕草で彼を取り込もうとする。
「社長のお願い事は何ですか?」
彼はトップだから、この和やかな雰囲気をセレモニーにつなげたいと考えている。
「それは後からこっそり書かせてもらいますよ」
でもしなければいけない仕事の方が優先で彼女達に構ってなどいられないのが本音。だから絶大な支持率を誇る微笑みを浮かべこの場をはぐらかし、司会進行のスタッフに手を降った。とその時
「あ〜、これって」
短冊の一つをラインストーンの指先がつまみ上げ
「星羅さんじゃないですか?」
なんてこれ見よがしに笑う。そこには意外な程女性的な楷書体の文字、それから小さな☆のマーク。でも名前は書いていなかった。それなのに
「へぇ」
彼は小首をかしげその一文にまじまじと見入っていた。いつもの彼だったら多分そんな事はしなかったと思う。それはあからさまに失礼な事だから。でもこの時の彼は違っていた。
「本当にこれは君が書いたの?」
むっとした表情を浮かべ、紙を笹に括りつけていた金のリボンを外すと、星羅の目の辺りでひらひらと揺すった。
「悪いですか?」
今日は最悪な日だって思いながら彼女は頷いた。
「私が結婚したいなんて思ったら、変ですか?」
あまりに堂々と言い返す彼女に彼は一瞬言葉をなくしてしまった。それでもすぐに自分を取り戻し
「あれ? 思い過ごしかな? 君は会社と結婚したのかと思ってたよ」
いつもの魅惑的な笑顔のままピンクの紙を両手でしっかり持ったかと思うと、もったいぶった仕草でゆっくりと、なんと! ひきちぎった。その破ける音が遠くから聞こえる爆撃みたいに彼女の耳に響き、書かれていた
“結婚して幸せになりたい”
の文字がバラバラと崩れ、小さなゴミになって彼の手の中に落ちた。当事者の二人以外、この場で
“本当に”
何が起きているのか分からず唖然とし、息を詰めてながらその様子を見ていた。そしていきなり
「こんな会社、辞めてやる!」
思わず湧き上がったその気持ちが彼女の唇から弾けた。ちょっと魔が差しただけ。ちょっと幸せになりたいってそう思っただけ。バリ島でもらって来たはっちゃけた勇気をほんの少し書いただけ。どうして普通の女性だったら当たり前の事が自分には特別になるんだろうって、怒髪天で考えた。そんなの、おかしいよ!
「いいだろう」
売り言葉に買い言葉。彼は自分の怒りの源を知っていて、それでも押さえきれずにぶち切れて、二人の感情が一気に交差した。
「運転手の替えだったらいくらでもいるからね」
それは確かに彼の本心だった。別に車を運転するだけだったら彼女である必要はまるで無いのだから。
「有給が有るんだろう? だったらそれを全て消化すればいい」
その声色は
“明日からもう来るな”
と言い放つ。
こんなはずではなかった、お互い。折角の七夕の夜、胸に秘めている気持ちが有ったのに。それは言い出したくても言い出せない感情で、その吐け口がむしろ逆の方向へ噴出してしまったのだ。
色を失った彼女は拳を握りしめ唇を噛んだ。その青ざめた様子に
『違う』
彼は言いかけ
「社長、お時間です」
それを神内が引き止める。
「お父様もいらっしゃいました」
織部が目を外した瞬間
「失礼します」
彼女は脱兎の様にフロアを飛び出していた。
もうこんな会社おさらばで二度と足を踏み入れてなんかやるものか、固く心に誓って。
その夜星羅は二時過ぎまで飲んでいた。突然降って来た通り雨の中、
「大丈夫?」
陽治に肩を抱かれ、踊りながら
「らうじょうぶぅ」
どう見ても軽やかではない彼女の声が答える。産まれ初めて
“お腹がいっぱいになるまで”
お酒を飲んだのだから仕方が無いと言えば仕方が無い。よたよたとよろめきながらマンションのエレベーターに乗り込んで
「陽治さぁ、結婚してくれるおんら(女)の人、探してらよね?」
でかい声でそう叫ぶ。
「いいようぅ、あたしが結婚してあげるぅ。こんな不細工だけど、一応おんら(女)らからねぇ、いいれしょう?」
泣き出しそうな声で彼にしがみつき、
「何馬鹿な事言ってるんだよ。星羅は最高な女じゃない?」
彼の慰めに耳を貸さず、思いついた様に
「こんな日に雨らんて。織り姫も彦星もついてらいね〜」
話題が切り替わる。
「酔っぱらいなんだから」
彼はため息をつきながら彼女をマンションの入り口まで引きずった。でもそこには先客が有り。
「お前、誰だよ」
うずくまりながらドアにもたれた不機嫌な声が二人を見上げた。
「そう言うあんたこそ、誰よ」
目を細めながら立ち上がる男の姿に、
『ああ、こいつかよ』
陽治は直感で分かった。
『織り姫だ』
それは以前から星羅に聞いていた話し。
『天界のお姫様が私の上司なの』
初めてそれを口にした一年前の彼女はまるで恋におちた乙女みたいに頬を染めた。お相手は7月1日づけで着任した新しい社長。
『めちゃ綺麗でね、仕草もたおやかで、でも女女しているって事じゃ無く、こう、なんて言うか、高貴な感じ』
彼女が彼の専属で車を運転し始めたのは7月7日。
『もちろん仕事もできるよ、仕事も。話しを聞いていれば分かるから。自分の言いたい事は通すけど、でも無理矢理って言うより、みんなが彼の言う事を喜んで聞いちゃう感じ、かな? 私の目からすると、天女っていうか、んん、織り姫様って感じ』
『何それ?』
彼はからかった。
『だってそうなんだもん。彼ってさ、特別だから。人間離れした存在なんだよね』
そんな彼女の入れ込みっぷりに
『てことはつまり星羅が“彦星様”?』
とからかう。
『案外似合うかもよ。寡黙で頼りがいのある運転手兼ボディーガードの星羅と深窓のプリンス。ロマンスだわ!』
男のようだと言われるのに慣れている彼女は
『馬鹿言わないでよ』
大きく笑い飛ばした。
『彼氏っていうか、私なんかせいぜい下男か下僕ってラインだから』
そのはずが。親友の彼女の中でその気持ちが日増しに膨らんでいるって事に気がついていた陽治だった。そして目の前に立ちはだかる不必要にぎらついた目をした
“織り姫”
も同じ様な手合いらしい。
「まあとにかく、星羅を中に入れてあげなくちゃ」
陽治は
「よっこらしょっと」
いきなり寝てしまっている星羅を彼に押し付けた。
「おわっ!?」
ずんとのしかかる重圧。それでも彼は男だ。細く見えてもそこは違う。
「飲み過ぎだよ、全く」
「ほにゃほにゃ」
寝言を呟く彼女を抱きとめながら彼は陽治の仕草を見守った。Kのマークの平凡なバックから鍵を取り出すその様子が、彼がしょっちゅうこの部屋に遊びに来ている事を物語っていて。
「お前ら、結婚するのかよ」
お姫様とは思えないヤサグレた声が問いかける。
「まさかぁ!」
陽治が呆れた様な声を出した。
「見てそのままよ。あたしにそう言うノーマルな趣味は無いの」
僅かな頭痛で目が覚めた。朝5時5分前。
「起きなきゃ」
もうすぐ鳴り出すはずの目覚ましに用心しながら彼女は起き上がろうとした。でも
「なんか変」
どんより重たい頭の隅っこで、大事な事を思い出そうとする。
「そうだ、クビになったんだぁ」
星羅の中では自分から辞めたと言うよりは
“解雇”
だったから。
「考えるの、辞めよう」
ぱたりとベッドに潜り込み、
「はぁっ」
天井を見上げる。外は薄明かり。昨夜の雨は上がっていて、
「結局織り姫様と彦星は会えたのかな」
そんな心配をし。案の定鳴り出した目覚ましを厄介だと思いながら手を伸ばし消した。そのけたたましい音と共に
「うるさいなぁ」
隣りで誰かが呟いた。
「え???」
その声には聞き覚えが有った。でも陽治じゃなくてもっと別の……。
「もう、起きるのかよ」
前髪をかき上げながらむくりと起き上がったその姿。
「しゃっ、社長? ど、どうしてここに??」
「うるさい」
寝起きの彼は恐ろしく不機嫌だった。
「どうでも良いからもう少し寝かせろ」
「はぁ?」
有無を言わさず、彼は星羅の体に腕をまわした。
「お前の所為で、ついさっきまで眠れなかった」
「ちっ、ちょっ、待って!」
「うるさい!」
なにしろ狭いシングルベッド。ガバってな感じで彼にのしかかられ慌てふためく星羅。でも色っぽいというよりはとにかく強引に抱きかかえられ、耳元で彼の心臓の音を聴いた。
「全く、手間のかかる」
眠たげな口調とは裏腹に、そのリズムは駆け足の様で。
「社長、今自分が何やっているか分かっています?」
星羅は彼の顔を見上げながら確認した。
「俺が分からなくってこういう事をする程馬鹿だと思ってる?」
いつもの彼とはちと違う物言いに、彼女は少し驚いた。それに気がついた彼は
「ふふふ」
と笑い、
「会社とプライベートが一緒なはず無いだろうが」
彼女の鼻の頭に
「痛い!」
指パンチをくらわせた。
「何するんですか!」
「お仕置き」
そう言いながら深いため息と共に彼女を大きく包み込んだ。
「昨日の夜の事、覚えていないんだろう?」
当然、これっぽっちも。だから
『何やらかした!?』
ってな感じで体を固くする星羅。でも彼はそんな彼女の短い髪をそっと撫で、深い息を吐き出した。そのくせ
「じゃぁ、思い出すな」
等とほざいた。
「あっ、いや、ちょっと、待って! 教えて! 私、何したんですか!」
顔を引きつらせる星羅に向かって
「じゃあ俺の言う事必ず聞けよ」
俺様が呟き、強引に先を進める。
「俺が言いたかったのは、運転手だったら代わりはいるけど、星羅の代わりはいないって事だし」
織部の腕にぎゅっと力が込められ、彼女の顔がこれでもかって位彼の胸に押し付けられて。
「嘘つき」
彼女はソッコー否定した。
「そんな事、思ってもいないくせに」
「嘘じゃない、嘘じゃないから」
ふわりと鼻につくサンダルウッドの香りを嗅ぎながら、まだ夢を見てるのかなって彼女は思った。
「星羅といると、安心できる。ただそれだけだけど、俺にとっては物凄く重要だってこの2週間で気がついた」
いつの間にか呼び捨て。
「星羅がいないと落ち着かない。黙って俺のする事見守っててくれて、でも俺の事を気にかけてくれているバックミラー越しの視線が好きだ」
これは愛の告白なのかと彼女は考える。でも何となく、変。
「第一、星羅が悪い」
「はい?」
彼は我がままなお姫様。
「星羅が会社に永久就職したって言うから俺はそれを信じていたんだろう?」
「はぁ??」
基本、彼が絶対君主。
「永久就職ってことはさ、馬鹿な男と一緒になんかならないで、俺の傍に一生いるって事だろう?」
「はぁぁ??」
「それを裏切って、勝手に出て行こうとした。だから星羅が悪い」
その展開に彼女はついていけなくて。
「どうしてそうなるんですか? 香水の件にしろ、短冊の件にしろ。あなたが喧嘩をふっかけて来た様なものでしょう?」
憤慨しながら首を傾げる。彼は平然と
「だってほら、君にあの香りは似合わないから」
そう言ってベッドサイドに手を伸ばしたかと思うと、どこからとのなくゲランの紙袋をたぐり寄せ、
「こっちが良い」
中から箱を取り出し、無造作にパッケージを開けた。彼のほっそりとした長い指先には真っ赤なボトル。そのキャップを開くと
「ほら、ね?」
しっとりと甘いサンダルウッドの香りが広がって。
「君にはこっちが良い」
そっと人差し指につけ
「成熟した女性の香りの方が似合う」
とくんくんと波打つ彼女の首筋にあてがった。
「それにあの短冊だって」
猫の様に甘えた声で彼は囁く。
「俺と一緒にいる君が幸せじゃないって言っているみたいじゃないか?」
なんて。
「俺はお前といる時が一番くつろいでいる。気づかなかったのかよ」
『全然気づきませんでした』
と答えたら絶対怒られる予感があって、黙る。そんな彼女の顔を彼が覗き込み、一房の髪の毛が星羅の頬を撫でた。
「星羅の思慮深い所が好きだよ。それに出しゃばらず、人を立てるから。俺たちの車に乗ったゲストはみんな君の事を褒めていく。」
「でも私、ガンダムだし、可愛くないし。社長、正直何が言いたいのか分かりませんが、何となく血迷いましたね」
そりゃかなりうっとりする様な美味しい状況にある事は確かだった。でもこれが現実だとは到底思えない。むしろ
『嫌がらせ!?』
眉をひそめた彼女の額を
「しわになる」
親指が引き延ばした。
「今までの星羅は自分に似合うものを着ていなかっただけだろう? それに君ぐらいの体型だったら欧米基準の標準だし。ガンダムだって、愛されて30年かな? スーパーキャラだ」
こんな褒め言葉は初めてだった。
「プレミアがついて、大変な事になるね」
優しい声が囁いた。
「だから俺の所においで」
朝の光が差し込む部屋の中、織り姫は彦星をかき口説く。
「離れたくない」
夜が開けても二人一緒の時を過ごしたい。
「俺達がつり合わないって思うのは、思い込み」
勤勉な彼女と、麗しの彼。
「とりあえずここは黙って俺の言う事をききなさい」
天上人の我がままに引きずられ、彦星は渋々上の世界にやって来る。
そして後日、彼は7月になると決まって
「あんなに酷い目に有った事は無い」
とこの年の七夕の夜の事を愚痴った。
「分からず屋の星羅を説得するのにどれほど大変だったか」
『それはこっちでしょう!?』
そんな気持ちを胸に仕舞いながら星羅はにっこりと微笑む。
「そんなの、忘れたわ」
そしてその夜の星羅の行動も謎のまま。聞いたら絶対恥ずかしい思いをする事が分かっているから、彼女はばっくれる事にした。なにしろ
“今が良い”
それ以降、会社恒例の七夕セレモニーで願い事をかいた短冊をひきちぎると夢が叶う、というジンクスが産まれ、翌日の掃除のおばさんを悩ませた。
おしまい
前編へ
あとがき ♪
成り行きで が〜〜〜!! って書いちゃいました。
所々変ですがお許しを。
手直しできたら ストーリーズ の方にアップしますね。
さて今日は 映画 愛を読む人 見てきました!
う〜ん、期待は裏切られました!
良い方にね♪
という事で、
感想は明日アップします。お楽しみに。← 本当、お楽しみにね!
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そう言えば!
7月7日 七夕の夜 ストーリーズ の拍手が
777回達しておりました ♪
これは何か良い事が起こる前触れかしら ♪
折角ですので、クラップして下さった方に幸福♡が
舞い込みます様に!
あんまり良いお礼を用意していなかった分、
代わりに天にお願いしちゃう!
by hirose_na | 2009-07-08 22:36 | 恋愛小説