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パロマ・ピカソ

うふふ。国立新美術館・ピカソ展 もう一度行ってきました。



前回はこっそり行くはずが旦那にバレ、
その後子供達にもバレたため、家族全員で行くハメに・・・・。

今回はこっそり一人で行ってきました。

寂しい??

いいえ、楽しんできましたから♪

ゆっくりじっくりです。
気になる作品を人の列から離れてゆっくり楽しんできました。

以下は前回書けなかった & 煮詰めて見てきた事の
感想です。

プログラムナンバー順に

《 N 9 木陰の三人の人物 》

人工物ではあり合えない自然美を感じる作品でした。
その筆のタッチや色使いに
水面に出来たさざ波の様な、魚燐のような、放物線の様な
人間の力では描く事が出来ないはずの世界を見てきました。
印象として、確かに木陰の下に女性が三人うずくまっています。
でも不思議なのは葉の存在がない事です。
影さえも光さえも天井から真っ直ぐ伸びて来ていています。
でもよく聞いていると、彼女達は眠っていたり瞑想しているのではなく
囁きで会話をしていると感じました。
この画面には女性達のひそひそとした静かな音が満ちていて、
それが自然の音として反映されている気がしました。

《 N24 マンドリンを持つ男 》

皆様どこに男がいるのか興味津々で、ああだこうだいっていました。
でも私はそこにあまり興味がなかったのでぼんやりと見ていたのですが、
ふと思い浮かんだ様に画面の中に着物で言う“て”のかたちで
右向きの男性の顔が浮かんできました。
“て”の横棒の位置で顔が有って
それから後に続く所が肩から腕になっている。
これは
「おおっ!」
でした。

一番最初にこの絵を見て感じたのはパリの街。
白壁と丘の印象から
サクレクール寺院へとつながるモンマルトルエリアかなっと。
屋根が棚田の様につながって、路地が有って、小道を抜けて。

その映像とマンドリンを持つ男の人が重なって
(パリの街の上に男性の絵が描かれている)
彼のマンドリンの音色がパリの街、
空の上から包む様に降ってくる。
そのイメージを持つ事が出来ました。

楽しい!!!!

《 N 78 女の頭部 》

最も印象的な作品の1つです。
鼻から下だけの女性の頭です。
正確には“頭部”はありません。
脳と目のある位置がかけています。

彼女の口元はふっくらしていて、
少し高めの頬は張りが有り、
ほっそりと伸びた首筋はいかにも女性の美しさをうつしている感じです。
ある意味神話的とでもいうのでしょうか。
この形を形作る為にピカソが手を使って表面を撫でているのが見える様です。
柔らかくこねるその手。
その手が一番最後、彼女の頬に鋭い目を刻んでいます。
残酷なほど鋭く。

その目を入れざるを得なかったピカソがいるんだろうなと感じました。

目の前の彼女。彼女を写し取りながら、
彼は彼女の中に潜んでいる感情をひしひしと感じていたのだと思います。
生来彼女は女神だったのです。(う〜ん、偉そうに書きますね♪)でも
彼女を醜く変えたのはピカソの存在で、
彼はその事を感じながら
“恐怖”とか“逃避”とか“悔恨”を覚えながら
それを描き出さない訳にはいかない作家としての本能をがあった、
そう印象を持ちました。
彼女の持つ感情はとても強大で、彼でなければ向かう事の出来ない
波のように思いました。

この表現を見て、魂を削るってこういう事だって思います。

《 N 84 女を陵辱するミノタウロス 》

女はマリー・テレーズでミノタウロスはピカソそのものだと言われています。
彼女は恐怖と苦痛でその表情のまま気を失っています。
彼女にとってその痛みは寝ていても、もしかしたら死んでいてさえ
取り払う事の出来ない痛み。
それなのに。
ミノタウロスの表情はまるで幼な童の様なのです。
無垢で
「ぽけん」
とした表情なのです。
荒々しさ、猛々しさをまるで感じさせません。
彼にとってその行為は大切な何かを抱擁する
言うなれば優しい行為の延長上にあるのかなって思うほど。
(される方はたまったもんじゃないですから、はい)
その彼の感情と、行われた行為や彼女にもたらした結果が
まるで一致していない。
その彼の中にある
“どうしようもない感覚”
感じた気がしました。

《 N 99 読書する大きな沐浴の女 》

目の前にいる彼女をイメージして絵を描いた、
という印象ではありませんでした。
ピカソが頭の中で(実際に)カービングをし、
木でかなりリアルに彼女を作り上げ
その頭の中に写し取った映像をキャンバスの上に表現している感じです。
彼の中では完璧な立体としての彼女がいる様でした。
(あくまで立体として捉えている)

前面の入り組んだ木と木の隙間から、
木から掘り起こした場合実際に存在しない方向性(年輪とは異なる方向)を
どう現そうか、その不自然さをどう表現しようか
しこたま考えた気がします。

全体から受けた印象は
“木で出来た宝物入れ”でした。
彼女、頭部がぱかっと分かれて、とれるんです。
脳の入ってる場所がね。
でもってその中に入っているのは単純に宝ではなく
蜜蝋。
彼は彼女の中からそれを取り出し、
手で温めながら
絵の中では表現されていない彼女の滑らかな背面に
撫でる様に擦り込んでいく。そんな感じです。
最高の宝は彼女の中に詰まっている思考で
それが彼女に艶を出し潤している。
な〜んてね。

この絵の前で皆さん
「女性の顔が小さい、可愛い、イタズラ描きだ。」
そう話していました。

そうだと思います。ピカソのイタズラ描き。
それには訳が有って、
そのイタズラ描きで本来下を向いていると分かるはずの顔が
別の位置にあると先入観で特定してしまうと言う。
不思議、というか、ピカソにとっては当たり前の現象が起きています。
彼にしてみれば、
見えている事が全てじゃない。
他の人が見れていない彼女の本質を自分は分かっているのだと言う
主張なのかな。

《 N 102 泣く女 》 版画

彼女はピカソの目の前30cmで泣いています。
釘の様な金属の涙を鋭く発しながら
むき出しの歯はまるで粗野な野生動物みたい。
本来美しかった彼女の顔に
慟哭の痘痕が浮かび、
醜さが描かれています。
でも彼女を変えたのもピカソなんだよね。
その強い狂気にも似た訴えを放射能みたいに浴びて
普通の人間だったら後悔や反省と共に逃げ出す所を
彼はある種喜びを伴いながら写し取っている気がします。
彼自身、彼女の感情は嫌だし怖い。でも
画家としても本能がそれを上回っている。
人間から理性を剥ぎ取った瞬間を描きたいってね。
女の頭部にも似た感情を感じました。

《 N 103 泣く女 》 油彩

こちらはエッチングの“泣く女”の対になると思います。
でも泣いた時より時間が経っていると思います。
その時間の経過と同時に
ピカソの目の前から遠ざかってしまった存在としての
女性像を感じます。
彼女の泣き顔を冷静に観察し、
その評価に“おかしさ”を加え、
すでにその当事者ではない
不思議な感情を絵の中に投影している気がします。
そして泣いている彼女には
第三者が(エッチングでは本人の手がハンカチを押さえている)
慰めの手(ハンカチを持っている)を
差し出しています。
彼女は誰か、ピカソ以外の人物によって救済されたのでしょうか。

《 N 96 106 二つの マリー・テレーズ 》

彼女は月です。
女性です。
夜の闇にとけ込む様な、しめやかな空気を纏っています。
ダイアナの様な処女性と
女神としての肉感を持っています。
柔らかな曲線が彼女の母性を引き立てています。
静かな目元と、物憂い表情。
艶やかな毛並みの鳴かない猫。
でも彼女の目は闇夜で冷ややかに光っているんだよね〜
怖っ!

《 N 104 105 二つの ドラ・マール 》

彼女は太陽です。
灼熱のコロナを纏っています。
まるでアポロンの様な大胆さと傲慢さを女の肉体に宿しています。
もちろん同時に知性や理性を兼ね備えていて、
その放つ光にヒトは畏怖し目がくらみます。
(でもね、後からそれが崩れていくから
 部外者として面白いんだけど)
彼女に関してだけは、
ピカソは
“自分が見たい面だけで見ていた”
そんな感じがします。
彼女が演出していた部分を真っ直ぐに受け止めて。
もちろんそれは彼女自信、本当の姿では有ったのだけど、
彼女の意志でコントロールしていた部分でもあり、
制御できなくなる以前の状態、
そんな感じでしょうか。
こっちの彼女は吠えそうです。

《 N 142 膝を抱えるジャクリーヌ 》

こちらの作品も非常に印象的でした。

彼女の目の向こうには何が見えているのでしょうか。
遥か遠く。
でもそれは彼女の目に焼き付くかのごとくはっきりと見えているもの。
孤独。
人の去ってしまった冬晴れの海辺。
暖かい日差しが如何に沢山降り注ごうとも、
笑いさざめく音は二度と聞こえない。
彼女が見ているのは“ピカソの死”では無いでしょうか。
いずれ近いうちに訪れる終焉です。
彼女はそれを直視しています。
その悲しくも美しい瞬間、
それを捕らえている時のピカソは、
彼女が見ているのがピカソ自身の死であるにに関わらず、
死ぬという事とは対極の世界で生きている様に感じます。

息子は彼女を見て
“泣いている”
と言っていました。面白い。




      特に“感じた”事はこんな感じかな。
      書き出すと止まらないっす。


それにしても、ピカソのエネルギーって凄い。
彼は私たちが話す言葉のスピードで
絵を描き続けてる。
彼にとって目の前に新しく作り出す創造物は
「お早う」であり、
「ありがとう」であり
「おやすみなさい」
当たり前で、でも大切で、体の中から発しないと
どこか落ち着かず
気分が乗らず言わない時には後悔し
叫びたい時には叫ぶ。

彼は音楽家で、いつだって質の良い声で歌う。

その声は常に無意識のうちにコントロールされ
発した瞬間、揺るぎなく響いていて。
線が乱れる事は無く、
常に完璧なリズムを刻み,
泉の様に満ちている。

廣瀬、シェイクスピアの所為でおかしくなったか!?

まぁいいや。

はい、最後。
現代では当たり前として受け取られている表現の数々は
彼が新しく産み出した手法だったんだ
そう感じます。

絵の中に真横から見た絵と真上から見た絵を融合させたり
(N 41 画家とモデル)
騙し絵の様に配したり
(N 24 マンドリンを持つ男)
人間の生の部分を物として切り離して捕らえたり
(N 118 髑髏)
可視的な物をまったくの感情にすり替えたり
(N 71 海辺の人物達 N 107 横になって本を読む女)
色彩に毒を盛り込んだり。
(N 62 接吻)
目ではそうは分からなくても
感覚がそれだと示す造型。
(むしろじっと見ていると分かんなくなったです)
(N 13 森の中の水浴の女のための習作
 N 69 女の頭部)

ああっピカソ。好き!

贅沢しました。

世界中でどれだけの望んでも
これほどの波の様に連なったピカソを見る事が出来るのは
一握りの人間ですから。

ニューヨークに暮らそうが、
如何に才能のある画家の卵であろうが、
この体験をする事が出来るのは
チャンスに恵まれたほんの少しの人間だけです。

彼が天才と呼ばれ、
人の中の何かを突き動かす特別な力を持っている事に触れる事が出来き
あ〜私って幸せ って思います。

まだの方、ぜひ一度足をお運びください。


念のため。
廣瀬 シロート です。
解釈の間違いはお許しを ♪
だって妄想するのが楽しいんだもん。




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贅沢 ♪

by hirose_na | 2008-12-10 20:20 | Life !