恋愛小説 天ノ川 向コウ岸 13

13      天の邪鬼

 玄関の笹飾りを飾り終えた七緒は何の気無しに家の中を歩き回った。



 あのうぐいす張りの廊下も変わる事なく、奥の間も同じ。ただ近いうちに離れは改装する手はずになっているという。つまりは、養子をそこに住まわせようと言う事なのだろう。
 不意に思い立ち、七緒は着替え終えたスーツが汚れる事など構わずにスニーカーに足を突っ込むと、一目散に裏の竹林まで足を進めた。
 そこに有るのは、笹の葉脈をすり抜け芳香を放つ風の渦。山の側面にも当たるその場所は昔から風通りがよく、真っ先に空気が乾くのだ。その小道を少し進む。すでに落ちはじめている笹の葉を踏みしめると、そこだけ湿った音がした。
 笹は同じ種類、同じ場所に生えていながら微妙に違う。そしてここに生えている笹が彼女の昔からのお気に入りだった。すぐ傍らには数時間前に切った生々しい傷跡。鉈で一振り。斜めがけ。残った切り口はするどく、根からくみ上げられた養分を、もうすでに無いという幹に栄養を送ろうと半透明の水玉が盛り上がっていて。しゃがみ込み指先でそっと擦ると、それは粘りのある液体となって肌を汚した。
「悪あがき。」
それを見た彼女は呟いていた。切り離された未来に望みを託すなんて。ばかばかしくって愚かで。それでも止められない。人も植物も同じだなって思った。そのとき、風の音とは違う何かの擦れ合う響きが背中で響いた。かさり、かさりとそれはとても緩やかで。
「待たせた?」
「嘘でしょう?」
振り向いたそこに立つ彼は別れたあの時よりももう少し髪が伸び、一段と色も抜け。その上ほんの少し肌の地色は黒くなっていた。こんな日に、幻を見ているのかと思った。初めて見る、それでいて馴染んだスーツ。ほんの少し左に曲がったネクタイ。
「老けたわね。」
格好良くなった、そんな事いえる義理がなく思わず目を伏せていた。何しろ彼を傷つけ早く出て行けとばかりの態度を取った事を今でもはっきり覚えている。
「あいかわらずだなぁ、七緒は。」
その落ち着いた声に彼女ははっと顔を上げた。
「七緒はアノ頃よりもずっと綺麗になった。」
含み笑いの彼は、彼女を責めてなどおらずむしろ穏やかで。
「4年ぶりに会う恋人だろう?もう少し優しくしろよ。」
その意味に彼女は大きくたじろいだ。  
 第一あの当時の彼が恋人同士だったと本当に思っていたかどうかさえ怪しいとさえ思い始めていたのだから。
「どうして?」
それは当たり前の質問だった。どうしてここにいるのか、と。
「分からない?っていうか、聞いていないのかよ。」
千久馬はここまで徹底して話しが進んでいるとは思っていなかった。
 確かに七緒の父親には口止めをした。
『僕が一人前になって帰ってくるまでは、彼女に何も言わないでいて下さい。』
と。だからといっ今になってさえ自分が現れる事さえ知らされていない、そこまで行き届いているとは思っていなかったのだ。
 これは少し優位かもしれない。その気持ちで微笑んだ。彼女は動揺し、怯えていた。
「迎えにきたよ。」
ゆっくり立ち上がり首をかしげる彼女を見つめた。それは彼女の父親からさんざん聞かされた通り、
『見た目はかなり綺麗になっているよ。それはもう、完璧に。』
だった。手入れをされた肌とトリートメントの効いたまっすぐな長い髪。風に流されさらさらと揺れ。ああ、綺麗になったってそう思った。でも、彼女の中で一番大切な事が足りないと言う事に彼は気がついていた。
「やっと天の川渡ってやって来れたから。」
大きく見開かれた目、その表情を見て千久馬はここに来てよかったなぁと思った。いつだって冷静な彼女の驚いた顔を見る事が出来たのだから。
 でもおふざけはここまでだった。意固地な彼女を本気で怒らせたら後がヤバかったから。
「約束したよね、3年後って。待たせてご免。」
その意味が分からず七緒は目を泳がせた。それこそが彼の狙いだったとは気がつかず。
「学位とるのに手間取って1年延びたけど。あ、今まで連絡しなかった事、怒っている?」
頭にクエスチョンマーク浮かべる彼女を引き寄せ、その柔らかな香りを確かめた。
「僕だって我慢していたんだから。」
4年前、彼女の父親にさんざん頭を下げ、悪い虫がついたら追い払って下さいと頼み込み。
「七緒に合わせる顔つくるって目標でさ、これでも必死だった。」
彼の背中に回っていた七緒の腕に力が入った。もちろん、彼がいる事自体有り得ないし、その彼がこうやって戻ってくるなんて。その上くどいほど甘い言葉で言い含めようとしている。全てが幻で今にも消えてしまう、そんな気分だった。だから捕まえておく必要があったのだ。
「この近くで再就職決まったから。」だから安心して。彼はつるつると滑るまっすぐな彼女の髪をそっと撫でた。あの頃の彼女はいつも癖のある髪を短く切っていた、彼はその感触を思い出し、時間が経った事を奇妙なほど実感していた。そのくせこの場所、この風景はまるで変わらないのだから不思議だった。きっとここは10年経っても変わらない、そう予感した。
 彼女の抱きつく腕が強くなった。千久馬が七緒を愛しんでいる事を感じたから。それから、彼が未来を暗示している事に気がついたから。
 時の流れの中で、自分ばかりが思い出に振り回され堂々巡りしているのかと思った。でも二人一緒に巡っていて、正確にはずっと同じ場所に居たなんて。
「泣くなよ。」
彼はそういって彼女の顎に指をかけ上を向かせた。
「泣く訳ないでしょう。」
確かに彼女の目は乾いていた。それでも小さく戦慄く唇が彼に安堵をもたらした事は確かだった。
「素直じゃないなぁ。俺の事、ずっと待ってたんでしょう?」
「待ってない!」
それからこぼれた言葉は、
「忘れられなかっただけだから。」
ここに来てようやっと彼女は言いたかった言葉を口に出来た。
 それなのに。
「ご免なさい。」
彼女は突然体を放し、何とも言えない笑顔を作ると僅かに距離を置いた。
「いろいろ複雑なのよ。」
大人の事情、と言うものが有るのだ。
「好きだけど、結局そうなんだけど、それだけじゃ駄目だから。」
そう言って養子縁組の話しが有る事を説明した。彼は眉間にしわを寄せながらじっと聞き入った。
 七緒の話しを黙(だんま)りで聞いていた彼は、最後まで何も言わず。悲しげな瞳で彼女を抱きしめただけで帰っていった。

                      つづく

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もうすぐ終わりです。やっとです。
七夕から一週間過ぎちゃいそう。
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by hirose_na | 2008-07-13 22:34 | 恋愛小説