恋愛小説 天ノ川 向コウ岸 8

8      願い事ひとつ

 7月2日の早朝に
「悪いんだけど。」
そう言いながら悪びれもせず、彼女は千久馬をかり出した。



「玄関の門の所に飾るの、忘れてた。」
竹林を踏みしめ、目的地までたどり着く。彼の目にはどれも同じ様に見えて七緒にとっては全ての枝振りが違う竹の幹。その中の一本を選び出し、彼女は指先で撫で上げた。
「これが良いな。」
理由も知らされずついてきた彼はただ見ているだけ。
「離れてて。」
彼女は呼吸を整え振りかぶり、持って来ていた鉈(なた)を地面に向かって斜めに薙いだ。ざくりと鈍い音と同時に広がる青臭い香り。頭の上では周りの枝も巻き込みながら笹の葉のざわめきが強まり、空から離れるのは心残りとばかりに大きくしなる。そこにもう一撃。今度は逆方向、横殴りに払う。今度はガッと言う音で鉈が食い込む。あとはもう崩れるだけ。みしみしと泣く音を受けながら彼がそれをつかんだ。
「ありがとう。」
彼女の微笑みに、これを持って帰って欲しいと言う事だと察した。見るからに大振りなそれ。目的は多分、笹飾り。
「これ、玄関に飾るの?」
「もちろん。」
幹の太さが半端ではなく長さも有り、手で持とうとし先端が大きく揺れるから、まるで竿燈の様に不安定で。

「重てっ。」
予期せぬ重心の変化に泣き言を言う彼を
「だから来てもらったんじゃないの。」
彼女が笑った。
「横にして。後ろ持つから。」
「あぁ。」
それから二人、よたよたと歩いた。
「なんか俺たち、鳥獣戯画っぽくね?」
などと笑いながら。
 その日の午前中、家政婦さんが玄関の門の脇にしつらえられた笹飾りの周りに趣向を凝らす。キレイに切られたあみかざり、吹き流し、提灯。それから五色の短冊に、硯、筆、マジックインク。
 その様子を眺めていた千久馬だったが、近所の何人かが時々立ち寄っては願い事を結わえていく姿に驚いた。
「びっくりされたでしょう?最上家の七夕飾りはご利益があるって昔から有名なんですよ。だからご近所の方達がこうして来て下さるんです。」
加納さんは笑った。そうこうしているうちに、胡瓜やらスイカを持ってくる人まで現れ始め、彼らはこぞって最上の家に柏手(かしわで)を打って去って行った。
「さて、私も1つ、と。千久馬さんもどうぞ。」
彼女は嬉々として筆を手に取った。
 彼は自分の願い事をさっさと吊るし、彼女の帰りを待った。その夜、
「七緒も吊るそうよ。まだだろう?」
その声には何のてらいも無く、ただ笑っていた。実のところ、彼女は高校を卒業してから短冊を吊るす事は無かった。無性に子供っぽく、その上自分の家の笹飾りに願いを託すと言うのは何だか傲慢な気がしていたのだ。
『私の家のお飾りだから、私の願いを最優先でかなえてね。』
そんな感じで。だからはっきりとした返事も出来ず、
「お風呂、入ってからね。」
とにかくその場を逃げた。お気に入りのシャンプーの香りに包まれながら、ぼんやりと考える。
「なに、書こう。」
望みが無い訳じゃない。でも、それを言葉にするのはあまりにも馬鹿げていて。叶わないと分かっていて望む事の虚しさに、手がぼんやりととまり、目にシャンプーが入る。その痛みに我に返り、慌ててシャワーで洗い流した。
 当然の様に彼は期待に満ちた顔で待っていた。その目をかいくぐり
「見られたらご利益無くなっちゃうよ。」
居間に下げられた短冊セットをいじるフリをして背を向けた。
 夜空に色とりどりの短冊はよく映える。月の光が紙の光沢を引き出しているのだ。その何とも言えない風情に彼は思わず聞いていた。
「最上の家は昔からこういう事、している家なんだね。」
と。
「正月とかはもっと大変なんだろう?」
それは当たり前の疑問だった。
「ん〜、寺社周りと町内会のご挨拶位かな。松飾りとかは業者さんが入ってくれるし、新年会はホテルでやる様になったから。」
隠す様に短冊をつける七緒は彼の表情の曇りには気がつかず、
「人任せだから、全然大変じゃないよ。」
と答えていた。
「名家もたいへんだぁ。」
そんな彼の呟きは地に落ち、闇の中に吸い込まれて行った。
 ここに来てやっと彼は気がついた。彼女はお嬢様。単純に大きな屋敷に住んでいるとか資産が有るとい言う事ではなく、ひとり娘として守らないといけない格が有った。それに比べ、自分は正に彦星で。牛を追っているただの“好青年”ってヤツだ、そう思えた。
 家の中に戻り、二人はいつもと変わらない顔でソファに座り、いつもと同じ仕草でキスをした。躯がくっつき過ぎない様、適度な距離を保ちながら、熱く。二人濡れ合い、限界の直前で彼は身を放す。
「これ以上は、ヤバいから。」
成り行きを分かっている彼女はうつむくだけ。
「時間、もう少し有ったら良いのにね。」
その時間の意味が、今の時間なのかそれとも将来の時間なのか、いっている本人さえ分からず口に出した疑問だった。
「そうだね。」
答える彼さえも分からず。七緒の手を強く握った。
 二人は同じ屋根の下、違う部屋で眠る。お互い独り寝の寂しさを抱え、共通の気持ちを持て余しながら。
「やっぱ無理が有る。」
その呟きさえも。
                   つづく

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もうしばらく書かせて下さいね。
ところで皆様、今更なんですが、御感想頂けると嬉しいです。
独りで黙々書いていると、時々寂しくなるっす。
あ、この話しが寂しいのか。
今度は明るいの書かなくちゃ!
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by hirose_na | 2008-07-08 15:03 | 恋愛小説