恋愛小説 天ノ川 向コウ岸 4

4     線香花火   R 15
 
 梅雨入り宣言前だと言うのに雨の続いた日の夕方、その電話は鳴った。
「大丈夫。」
彼女は受話器越しに父親に話しかけた。




「心配しないで、戸締まりは大丈夫だから。ゆっくり美味しいものでも食べてきてね。」
つまり、今晩彼は帰ってこないのだと。それを聞いていた千久馬の喉が微かに鳴るのを七緒は視界の端で見ていた。
 夕ご飯は春鰹のタタキにキャベツのおひたし。それから大根の梅合え。全て七緒の好物だと言うのに、正面に座る彼がいつになく無口でそのくせ伏せ目がちに彼女の方を見やるから。どうしても箸の進みが遅れてしまう。いつもは大食いを自称し、彼の前だからと遠慮した事は無かったのに。この日だけはどうしても緊張してしまい、最後の方は味さえ分からず飲み込んでいる状態だった。
「ごちそうさま。」
先に食べ終わった彼が立ち上がり、茶碗を流しの方へ運ぶため彼女の横を通った。その気配に彼女は少し躯を固くし、その事を千久馬は微かに笑った。
「俺さ、ビール買ってくるわ。先に風呂入ってて。」
「うん。」
その言葉の意味は、つまり、そういう事だった。

 風呂は旧式で一回ごとに追い炊きをする。
「ふうっ。」
彼女はまだぬるさを感じる湯船に浸かっていた。あれ以来、この日が来るんだろうなぁという予測はしていたことだし、まぁいいかと言った気持ちだった。
 自惚れかもしれないけれど、彼に追われている感触を感じていて、それならばいいと思っていたのだ。もしこれが自分だけが好きだという想いだけだったら踏み切れない事だった。
 彼は明るくウィットが利いていてルックスも悪くない。そんな千久馬がどうして自分に惹かれているのかまるで見当がつかず戸惑いはあった。それでも、そんな疑いの気持ちが彼女を冷静にさせ、彼が体に回してくる手つきだとか、キスの間に囁く言葉だとか、そう言ったものを
“評価”
していた。つまり、騙されているんじゃないかと。
 結果、ゴーサインを出したという。
 こんな所まで性格だなぁ、そんな風に思いながらそれも仕方が無いと考えた。何しろ夏期限定、線香花火仕様の恋なのだ。上手い事やらないと。二人の時間は限られていて、程よい加減で燃えないといけない。強すぎず、弱すぎず。自分が彼に恋しているっていう自覚はあった。だから導火線を湿らせる気にはなれなかった。かといって着火温度が高過ぎると、あっと思ったその瞬間に火の玉は一気に膨れ上がり綱から離れ、ぱちぱちとひまわりの様に輝く火花をまき散らしながら俊速で撃墜し終わるのだ。地表にぶつかる衝撃の音さえ想像ができるから。その虚しさを味わう気はなれず。何よりも彼女の心の中にこの次の“線香花火”なんか無かった。
 だから後2ヶ月を切った今が丁度良い、そう彼女には思えたのだった。
 湯船の温度は緩やかに上昇し、入浴剤のオリエンタルリリィの香りが強さを増していた。

 帰ってきた彼は手早くシャワーを浴びただけで彼女を自分の部屋に誘った。
「もう、限界でしょう?」
そんな感じで。どこまでも軽い人だなぁ、そう思いながら、きっとそんな所も好きなんだと納得し、彼女は手を引かれ渡り廊下を歩いた。
 古い屋敷。そこはまるでうぐいす張りで。
『これから彼の所へ行きます。』
そんな風に鳴いている様で、何だか少し照れくさいと彼女は感じていた。つないでいる掌がしっとりと汗ばみ彼の緊張を伝えているとはついと気づかずに。
 障子の縁を踏みしめて入った彼の和室はキレイに片付けられていた。彼女にとっては昔から馴染みのある部屋。それなのに入るのは何年ぶりかの事で、思わず天上を見渡し、自分が大きくなってしまったのだと戸惑った。そこは幼い頃に他界した祖父の部屋だったのだ。ぴんと張られた障子紙、少し段になった床の間。古くさい竹張りのシーリングライトが漆喰の壁にうっすらと影絵を作っていた。
 懐かしさと同時に沸き上がる嗅ぎなれない違和感。それを彼女は嬉しく思った。そこには千久馬が寝起きする生活の匂いがあったのだ。
 彼は少し乱暴に水滴のついたコンビニの袋を文机の上に置いた。静かな夜で、しの降る雨が薄いベールの様に空気を閉ざし、そのカサカサという音だけが閉め切った六畳の箱の中に響いていた。それから微かに唇の合わさる気配。
「好き、だよ。」
彼は少しふっくらとした彼女の両の頬に手を当てて、包み込む様に囁いた。
「凄く、好き。」
薄暗がりで、彼女の目には彼の瞳だけが大きく見えた。
 崩れる様に倒された寝具の上、彼にとって嗅ぎなれた自分の体臭。それが彼女にとっては媚薬の様に届いた。
「なぁ。」
彼は鼻の先を彼女の耳元に擦り付けた。まるで小動物の様に。それが意味している事を彼女も気がついていて。
「私も、好きよ。」
するとまるで安心したかの様に彼はため息をつき、ゆっくりと彼女の着ている柔らかなパジャマのボタンに手をかけた。
 出てきたのはかっちりとしたブラ。それから、ガードル。彼女とて笑われるのは覚悟だったのだけれど、どうしてもはかない訳にはいかなかった。それは羞恥心と言うよりも習性だった。それでも何だか悔しくて、彼のウエストの緩んだイージーパンツを力任せに引っ張った。それはあっけなく。まるでゆで卵のからを剥いたかの様な成り行きに二人とも呆然とした。
「ふるちん。」
あわてて隠す彼を笑った。彼は下着さえつけておらず。
「馬鹿。」
今更の様にズボンを持ち上げ履き直し、今度は無遠慮に彼女にのしかかった。
「恥ずかしい事、させるなよ。」

 彼女にとってそれは始めての事だった。21歳で未経験と言うのは遅いかもしれないけれど、それでも少しも恥ずかしいとは思わなかったし、彼が誘ってくれたから捨てられるとも思いもしていなかった。
 七緒にしてみれば、なる様にしてなった。それだけなのに。
「ゴメン、あっ、ご免ね。」
彼の方が動揺し、慌てふためいていた。そんな様子を何だかおかしくて笑ったのは彼女の方で。
「何で笑うんだよ。」
拗ねたその唇を七緒の方から引き寄せた。
「馬鹿ねぇ。」
と。
「誰にだってあるでしょう、こんな事。」
それから彼がしてくれた様な優しいキスを返した。 
「何だか悔しいなぁ。七緒の方が余裕しゃくしゃくじゃん。」
「そうかもね。」
 その夜彼女は、快とも不快ともつかないじんじんとした疼きを底に抱えたまま眠りに落ち、一方の彼はあじろ編みの天井をぼんやりと眺めていた。

                    つづく

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彼がコンビニに行ったのは、本当はビール目的じゃ有りませんからね〜
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by hirose_na | 2008-07-04 23:17 | 恋愛小説