恋愛小説 天ノ川 向コウ岸 3

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 それから数日が過ぎたある日の事、彼女は食堂のテーブルの上に無造作に置いてあるiPod に気がついた。傷のついたブラックボディ。



 七緒には彼がいつでもそれを肌身放さず持っている印象があった。それなのにどうした事か。ふとした好奇心がよぎる。いつもどんなものを聴いているのかと。ミュージシャン志望とは思えないし、彼が教科書に向かっている姿も目にした事が無い。七緒にとっての彼は、いつでもイヤホーンを差し込んだまま、何となく散歩している不思議な男だったのだ。その秘密がこの中にある気がした。
 ひょろりとのびたイヤホーンがすぐ手の先に有り。
「少しだったらいいよね。」
その指先を伸ばした。
 
「俺のiPad聴いた?」
それは彼にとってはたいした意味の無い質問のはずだった。まぁ、成り行きというか、とりあえず聞いてみただけというか。それなのに、七緒は少し動きを止めたかと思うとテーブルの上の新聞を片付け始めたのだ。
「知らない。」
そう曖昧な返事をして。それが彼の目にはわざとらしく映った。
「ふ〜ん」
手の中のそれはイヤホーンのコードがキレイに本体に巻き付けられていた。几帳面に、まるでコイルの様に整えられて。ご丁寧にもチップの先がコードの一番下に挟み込まれてさえいる。きっと彼女は無意識のうちにこれをしたんだ、そう直感した。
「僕さ、嘘つかれるのは嫌いなんだよね。」
彼は苛立を感じそう言っていた。別に聴いたからって怒りはしないのに、と。彼女が自分に対し距離をおこうとしているのは分かる。何しろ見ず知らずの男と同居しているのだから。だからといって、仲良くしたくは無いのだ、という態度を喜べるはずも無く、ましてやこんな些細な事で自分が怒ると思われているのかと思うと、無性に腹が立った。
「もの凄くぼんくらに見られているの分かってる。でもね。だからっていって平然と嘘つかれるのは苦手だから。」
彼女は取り繕う言葉も無く青ざめ
「ゴメンナサイ。」
とだけ言っていた。

 好奇心のまま、取り合えず機械のセンターのボタンを押し続け、音を出した。使った事は無いけれど、だいたいの事は友達から教えてもらっていたから簡単だった。
 期待していたヒップホップやジャズの音色はまるで響かず、飛び出した音が正確に英語だと言う事だけは分かった。
「凄いよ、英語のレッスンじゃん。」
やるなぁ、と感心した。正直、凄いと。でもその後がいけなかったのだ。
 彼女が聞き取れたのはかろうじて
『ABC News』
の一言だけだった。不思議に思ってディスプレイを見た。カチカチとパネルを回し出てくるのは CNN BBC CBS NBC どれもアメリカの真面目な放送ネットワークばかり。しかもジャンルがきちんと整理され、いかに几帳面に勉強がなされているかを物語っていた。
「嘘でしょう?」
その事実に彼女は慌てたのだった。お気楽にアメリカに行けばなんとかなると思っているとばかり思っていた。そんな自分の思い込み、というか偏見を今までどれほど露骨に出してきていた事だろう。それなのに彼は嫌な顔1つせず。何だか自分がとても浅はかな人間に思えたのだ。

 何か言い訳を、その言葉を探しながら彼が悲しいって言っている事に気がついた。
 駄目だと分かっていて涙がこぼれそうになる。その理由は彼女の中ではっきりした形で言葉になっていた。
「嫌だね。」
もう言い出したら止まらなくて
「よく分るよそれ。」
彼女は最後まで話す覚悟始めていた。
「私ね、あんたの事馬鹿にしていたから。せっかく就職決まってたのにそれ蹴って、夢見るだけで留学しちゃうのかって。しかもこう言っちゃ何だけど、名門校に行く訳じゃないし。戻ってきて仕事があるって思えるのは、むしろお気楽な証拠だなって。」
「知ってた。」
その沈んだ相づちにその先が詰まりそうになり、大きく鼻をすすった。
「でもね、そうやって見下しながらね、どこか羨ましいって気持ちがあってね、それをね、なんとか誤摩化したくって、いつでもあんたの悪いとこ探してきたのかなって。本当は私が考えているよりもっといい人なのに、認めちゃったら私の負け、みたいなさ。そういうなんていうか・・・・格好悪いね。」
それから彼女は大きく頭を下げた。
「ご免なさい。嘘つきました。何聞いているのか興味があって、こっそり聞いちゃいました。」
それから口元をぐっと引き絞り、笑ってさえ見える様な不思議な表情を作った。
「凄い、頑張ってんだよね。見直しましたぁ。」
 反則だよ、それ。彼は心の中で呟いていた。女の子とは沢山つき合ってきた。優しい子も入れば、気の効く子もいた。ほとんどみんなが七緒より可愛くて自信が有って。嘘泣きも見てきたし、本泣きも見てきた。騙された事もあれば、騙されてあげた事も有り。それにもしかしたら騙している。でもその度に感じたのは嫌気ばかりだったのに。何故だろう、彼女が泣いているのは、これはある意味悔し泣きなのだろうけれど、そんな彼女の涙を純粋に綺麗だなぁと感じたのだった。
「ゴメン、俺、言い過ぎたわ。」
馬鹿だなぁ、誤解されるよ、そう思いながら彼は彼女を抱きしめていた。というより、誤解して欲しいかも、そんな気持ちが芽生えていた。
「じゃぁさぁ、これからもよろしくって事で。」
七緒は彼の胸の中で顔を上げた。この男は寛大だと認めない訳にはいかなかったから。それならばいっその事、今までの自分を捨てて
『甘える』
のがこの男の本質には合っているのだろう、そう冷静に考えていた。そしてそれに間違いは無く、
「こちらこそです、ハイ。七緒ちゃん。」
彼はくしゃくしゃと彼女の短い髪の毛をかき回した。

 それからというのも、二人は奇妙なほど仲が良くなった。
 なるほど彼は英語に堪能で、実のところオーディオブックに入っているのは真面目なものばかりではなく、ふざけた映画も満載だった。特にウィル・スミスの物まねが得意だというおまけもついていた。
「×××!!」
右のイヤホーンは七緒。左のイヤホーンは千久馬。
「×××!」
メン・イン・ブラックやインディペンデント・ディ。彼はとにかくスラングばかりをまねしながら、
「アメリカ日常英語〜万歳〜」
等とふざけ、笑い転げる七緒を
「離れるなよ、イヤホーン抜けるから。」
と引き寄せた。
 夜毎、千久馬の手が彼女の肩に回り、頭がこつんとぶつかる様になり。それからキス。
「色気無さ過ぎ。」
何となく予感のあった七緒はそんな風に答えた。
「こういうシーン見ていてそう言う事するのかなぁ。」
なんて。
「んじゃぁ、消すわ。」
彼は一時停止を押しながら
「I Love You .」
それはそれは真剣に言ったはずだった。それなのに、
「千久馬、面白過ぎるよ。」
七緒は再び笑った。はっきり拒絶されるか、それとも真面目な返事をもらうかどちらかしか想像していなかった彼に、それは微かな驚きだった。
 そんな彼の表情を予期していたのはむしろ七緒の方で。
「はい、私も好きですよ。」
彼女は触れるだけのキスを返した。

               つづく

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by hirose_na | 2008-07-03 18:37 | 恋愛小説