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恋愛小説 ♡ トリート・トリート・トリート 7

「済みません」
慌てて彼は手を引っ込めた。その声は小さかったものの彼自身の動揺を物語っていて、瞬間数人のスタッフやお客さん達がはっと彼に目を向け、素早くそらした。



もちろんお店でプライベートな感じで彼に話しかけられるのは初めてで、七海はぎくっとして息を止めた。まさかこんな所で二人の関係について話しが始まるとは思ってはいないものの、やはり心が苦しいから……。するとそんな彼女の心を見越してか、彼はとってつけたようなぶっきらぼうな声で
「今新店舗開店のキャンペーン中で、ヘッドスパのスペシャルトリートメントコースが70%オフになっているので、やっていきませんか? あの、皆さんご満足頂けますから」
と言った。早く彼の元を去りたいという気持ちと共に、もう少しだけ彼の傍に居たいと言う二つの気持ちがせめぎあう。立ち上がって話す二人に周りに微妙な注目が集まり、僅かに聞き耳を立ててられている気配を感じて
「あっ、ハイそれじゃあ、お願いします」
七海は渋々と言った感で頷いた。そして彼女は、彼のマッサージは最高に上手だからやってもらった方が得だよね、なんて自分に言い訳しながら、彼と過ごす本当に残り少ない時間をカウントダウンした。そう、もう二度とこの店には来れないなってそう決心したのだ。
 それまでヘッドスパは未体験の七海だった。江古田はそれを察して
「頭皮のクレンジングをしてくれるシャンプーを使ってのマッサージと、浸透性の良いトリートメントを使ってヘアエステをしていくんです」
と教えてくれた。
 嗅ぎ慣れないシャンプーの香りと、馴染みのある優しく包んでくれる大きな手。快適な水温にこめかみからのマッサージ。確実に気持ちが良いけれど、彼はそのことを口にせず黙々とマッサージを続けた。やがてケアは頭頂から後頭部へと移って行く。七海は肩こりがひどかった。だから仕事に疲れたとこぼす彼女の肩を、彼はいつも揉んでくれたものだった。
「いいよ、治(おさむ)だって疲れているんだから」
遠慮がちな七海に、彼はふふふっと笑った。
「俺、七海にこういうことするの好きだからやっているの」 
そんな江古田に甘えていた。
 彼の手はあの頃と同じ、優しくて力強かった。うなじを左右に揉みほぐすのって美容師さん特有の洗髪方法だなって思いながら、その快感に身を委ねそうになり、あわてて気持ちを押しとどめる。自分から離れた人だから
『もう一度、元に戻りたい』
なんて都合のいいことは言えなかった。それでも彼の施すヘッドスパは、まるで許すとでも言いたげに心地よく体の底まで響いた。
 そう、彼は僅か15分程度の時間に気持ちを込めていた。今でも彼女のことが大切だ、と。背伸びをしなくても、そのままの七海が好きだった。でもそんな彼の希望が彼女の将来を阻むということに彼自身戸惑っていた。そして思うのだ。包容力だとか寛大さだとか、言葉で言うことは容易い(たやすい)けれど、そんな簡単なこととじゃない。あるがままの彼女を受け入れたいと思っていても、所詮、そう思う本体が
“感情のある人間”
なのだから。
 やがてトリートメントが終わり、再びブローで髪型を整えられた七海は
「ありがとうございました。……良く似合っていると思います」
と頭を下げた。今の二人の間に無駄な会話は何も無い。ただお金を払い終わったカウンター越しに
「またご連絡ください」
の、仕事の上での社交辞令なのか、それともつき合っていた頃のように連絡が欲しいと言っているのか、七海にとってはどちらとも判断つかない曖昧な言葉が見送ろうとした。その瞬間、何かが彼女の中で弾けた。優しくされて、期待を持たされて。でも、もう駄目だって分かっていて、それでも諦めたくないと感じていて。彼の態度やその言葉の何もかもを、都合のいいように解釈したいって思っている自分がとっても悲しかった。ポロポロとこぼれだした涙。思わずうつむき、潤んだ目元を隠す。
『マスカラが滲んじゃうよ。そんな、みっともない!』
大人のフリで言い訳をし、目にゴミが入った様に見せかけようと目をしばたいた。
『みっともない! みっともない!』
お店にいる人達全員の奇異の視線を感じる気がした。26にもなって、これじゃあまるで子供みたいだ、と。唇をぎゅっと噛んで店を飛び出そうとした時
「七海」
耳に馴染んだ優しい声が彼女の名前を呼び、温かな両手でぎゅっと抱きしめられていた。
 彼は知っていた。七海は手練手管を使ってくる女じゃないって事を。泣いて、誤魔化して、男の弱点を突いて来る、そんな子じゃない。ただ素直に、泣きたくて。そんな七海が愛おしかった。大人げなくてみっともないかもしれないけれど、脆い弱さが好きだった。
「良い子だから、良い子だから」
江古田は抱きしめた七海の髪をそっと撫でた。だからといって泣き止んで欲しいとか、静かにして欲しいとかという事じゃ無い。ただその腕で七海の気持ちを分かち合いたいと思った。と同時に、彼女を理解してやるフリでその手を離し、追いかけようともしなかった過去を馬鹿だったと思った。結局彼自身が七海を手放したくないと切に願っているのだから。
 彼女はあまりにも情けない自分の姿にいたたまれず、でもドライに
『ごめんなさいね』
と彼を突き放すこともできないまま、反対に彼の胸の中に顔を押し込んでいた。記憶の底から湧き上がる香り、温かな感触。
『大丈夫だから』
と語りかけてくれる、静かな腕の動き。そんな彼の態度に、彼女が溜め込んでしまっていた沢山の“悪いこと”がまるでクレンジングされ溶けていくようだと感じた。今更
『好きだ』
と言えなくて、それでもそんな彼女の全てを包み込んでくれている彼に感謝し、ぎゅっとしがみついた。その力が彼に伝わり、
「一緒に暮らそう」
不意に呟きが漏れた。それは彼でさえ今まで考えた事のなかった言葉。
「二人で一緒に暮らそう」
心の中から浮かび上がってきた素直な気持ち。
「七海がいない人生は、僕にはちょっと寂しすぎる」
この時になって彼はやっと自分ってものが分かった気がした。彼女を腕の中に包み、癒してあげたいと思っている瞬間こそが彼の幸せなのだと。
 結局二人は
「お願いだから、別の所でやってくれない?」
お店のスタッフやら見ず知らずのお客さんからの盛大な拍手を受けながら、店長にその場を追い出された。
「恥ずかしい思い、させちゃった?」
バックヤードに下がっても彼の手をしっかりと握ったままの七海に江古田は照れ笑いを浮かべた。彼女は
『違う』
と大きく首を振り、その手に力を込める。
「それよりもっと、嬉しかった」
彼は七海の人生の綻びを手当てしてくれる最高でたった一人の人だから。
「それじゃ返事は“イエス”だね?」
気を回し過ぎたスタッフがBGMをファンファーレものに代え、二人は見つめ合い、そっと微笑んだ。

                        お終い


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♪ 読まなくても良いあとがき ♪

遅くなりました! 結局猛暑の季節まで引きずっちゃいました。

私は女の武器みたいな涙を見せるヒロインを書くパターンはあまり有りません。
でも七海の場合、本当に素直に涙が出てきた様で、
それに対して江古田も素直に反応していて、書いていて
微笑ましいな ♬ なんて事を書いていました。

さて今回、男性がちょっと変わったことを感じています。

『包容力だとか寛大さだとか、言葉で言うことは容易いけれど、
そんな簡単なこととじゃない。
あるがままの彼女を受け入れたいと思っていても、所詮、そう思う本体が
“感情のある人間”
なのだから』

の部分です。
今回書いている途中
“何かが足りないんだよなぁ”
と感じていたのですが、この一言でやっとその落ち着かない気持ちが解消された感じでした。

最終話までおつき合い頂いて、感謝です♥

さて、私は子供達の自由研究のために、毎日ザリガニ釣りに駆り出される毎日です。
そのうえ、今年中学受験予定の息子ちゃんの勉強も見ないといけなくて、
(中学受験の内容って、マジで高校で習う様なレベルのことをやるんですよ)
オーバーワーク気味。かなり疲れています。
しかも、暑いし!! 
でも冷房使うとてきめんに体を壊すので、
一時間に一回、水風呂に浸かって
シーブリーズみたいなローション(1本98円で買ってきたんだけど、これが滅茶苦茶爽快で、効果大!)
全身に散布してしのいでいます。
汗びっしょりで、トイレの回数も減っちゃって
ちょっと油断すると膀胱炎&腎炎の気配を感じ
セッセと烏龍茶煮出して飲んでいますとも。

皆様もお体に気をつけてお過ごしくださいね〜〜〜!

それから、拍手をくださった皆様、ありがとうございます!!
励みになります♥

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by hirose_na | 2010-08-17 14:05 | 恋愛小説