恋愛小説 ♡ トリート・トリート・トリート 6

 四年前もこうして彼にシャンプーをしてもらった。彼の手はがさがさで、所々ひび割れて、痛々しかった。しかしその指はまるで魔法のように動いた。



美容室でこんなにリラックスしたのは初めてだった、そう彼女は付き合い初めてしばらくしてから江古田に語ったものだった。そして彼も 
「うん、というか、まぁ、ね。相性? ってか、七海はまぁ、特別だから」
と照れくさそうに笑い、七海に気持ちを奪われて、どうにか気を惹こうとしてやってしまっていたという事実を隠しながら、彼女の髪を撫でたものだった。そして今、
「姿勢は苦しくないですか?」
お決まりのセリフの中、彼の今の気持ちを七海は探る。しかし見下ろす顔が懐かしい香りのするガーセに遮られ、結局彼の心は見えなかった。そして髪を梳く彼の手の動きが七海の髪質や長さを確認していることを感じながら、別のお店に行ってやってもらったって事がバレているって思い、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。勿論江古田は彼女を見た瞬間、そのことに気がついていた。でも気づかないフリを続ける。なにしろ彼はプロだから。———言ってしまえば取り返しがつかないことがあるって知っている。
「それじゃぁ洗っていきますね」
耳元で流れる水音を聴きながら、七海は自分の好みの温度を彼がまだ覚えてくれていて、それを微調整してくれているんだなって思った。だから
「温度はいかがですか?」
と聞かれ、
『駄目なはず、ないじゃん』
そう心で答えた。
 大きな手が彼女の頭を包む。優しく。そして、時には強く。ふわふわに泡立てられたシャンプーが心地よい香りを放ち、七海の頭はまるでホイップクリームの様だった。彼の片手は頭を支え、もう片方の手はジグザクに動き
「痒い所は無いですか?」
と、静かな声で問いかけられ
「大丈夫です」
気持ちよさに少しづつ緊張感をほどきながら彼女は答える。しかし彼から返ってきた返事は、
「良かったです」
の微かな呟きだけだった。
 江古田は昔から美容師としては寡黙な男の方だった。これと言って芸能ネタに興味が有るでもなく、話術が優れているでもない。むしろ凡庸と言っても良いほどで、七海はどうして彼が女性を相手にすることの多いこの仕事に就いたのか、不思議に思ったものだった。それでも、
「それじゃあ肩より少し長めで切っていきますね」
はさみを持った時の彼は別格だと思う。
 意外なほど大胆に切られてしまう髪の先。まるで大根切りのように見えて、それが違うのだ。数回はさみを入れるだけで一気に頭が軽くなり、その後に続く細やかなカットで微妙なラインのシルエットが産まれる。
 この日の七海のリクエストは
「服装に合う感じでお願いします」
だった。本当は
“子供っぽく見えない、落ちついた髪型”
をリクエストするつもりが、彼を目の前にしてその言葉を口にすることはできなかった。そして
「髪の毛はギリギリ一杯まとまる長さで。でも下ろした時に膨らまないようにサイドを少し重めにしてあります」
ものの15分もしないうちに、鏡の中には新しい七海が顔をのぞかせた。
「いかがでしょう?」
ケープを取られたそこには、年齢にふさわしい落ち着きと、これから迎える季節を予感させる軽やかな姿が有って……。
「素敵です」
月並みな返事をしながら、本心は
『完璧じゃないの』
と七海は思う。
“大人ぶった姿は似合わない”
そう言いながらも彼の仕事は正にパーフェクト。嫌な仕事もきちんとこなすその姿は、江古田にとって美容師の仕事は天職なんだと七海に信じさせてくれた。そしてそんなオーケーのサインを出しながら、彼女は彼と視線が合うことを拒んだ。この瞬間、彼がチョイスした髪型が似合ってしまっていることが悔しいから。その上、数日の時間をおいた後、この髪型は今よりもっと七海にしっくりと馴染むことを今までの経験で知っていたから。
「ありがとうございます」
彼女は逃げるように席を立った。間違っているのは自分だって、悪いのは自分だって分かっている。彼に謝って、もう一度やり直したい気持ちで一杯なのに言い出せない。本質子供な自分が嫌になる。素直になれない、勇気のない26歳が悲しかった。彼に背を向け、無言のさよならを語ったその肩を
「待って!」
江古田が不意に引き止めた。


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♥ 読まなくても良いあとがき ♥

連日暑いですね。
暑さですっきり痩せられると良いですが、
反対にビールっ腹になりそうなお盆を過ごしている廣瀬です。

それにしても、更新が遅くなってすみません!!
ラストシーン、予定していたストーリーが有ったのですが
どうしてもしっくり来なくって更新を渋っていました。
でも昨日やっと、ああこれだなって感じで登場人物達が私の中で動いてくれたので
書けた次第です。
そして予定より一話長くなってしまいました。

今回の最後は恋愛小説の王道
『待って!』
です♪ さっ、チキンな二人はどうするんでしょうかね〜〜〜♡

ああっ! 私も恋がしたいっす! ← 阿呆

それでは皆様、良いお盆休みを!

♡ 連日拍手をくださっている方、ありがとうございます ♡





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by hirose_na | 2010-08-14 09:47 | 恋愛小説